滋賀県は第3の故郷、な気持ちで生きてる清水です。
先日は矢川神社をクエストしてまいりました。甲賀市に鎮座する、歴史ある古社で、七夕祭りが有名だそう。
京都を拠点に生きているのに、記念すべきローカル神社探訪の第1回が滋賀の神社なのは何故か。
遠くでやらなきゃ
探訪じゃない感。ではなく、仕事柄、遠方に呼ばれる事が多い。しかもそれは滋賀県が多い。近江の国、大好き。
とはいえ実際、田舎出身のわたしは、京都を離れて滋賀県のローカルな道を走ると凄い落ち着くのは確か。山々があり、田んぼがあり、そして家はまばらで人は少ない。落ち着く~。ノスタルジィ。
そして、そんな風景にポツンと現れる防風林。遠くからでも分かるその存在。惹きつけられるわ~。なんでだろう。
と、遠方の鄙びたローカル神社探訪への愛着を語るのはひとまずこの辺にして、今回のクエスト現場となった矢川神社を見ていこう。ちなみに七夕祭りはとっくに終わっていた。残念。
そもそも参道とは
という基本的な知識を、自分の為にも再確認していこう。色々な定義はあるが、狭義には鳥居や山門という結界内の通路を示す。広義においては、街道などから神社に至るまでの道筋全体を意味するようだ。
一般的なイメージとしては、街道からのアプローチに自然発生した門前町も含めた、ある一定の領域全体をさして参道と呼ぶ方が多いのかもしれない。
今回の矢川神社についていえば、狭義の方に該当する感じの、ローカル神社にはよくある形であった。
まずは神社名の刻まれた石柱、「社号標」から。
鳥居は立派な石造りで、綺麗な感じ。けっこう参道が長いようで、本社殿が見えない。
イイ感じの木立ちが、ローカル神社の物静かさな落ち着く雰囲気を増してくれる。
この日は台風一過の後の、残り雨。
ド平日、真昼間、甲賀のローカル神社には、人影はない・・・
めちゃイイ雰囲気や~ん!(*><*)
凄く長くて、立派な舗装もされた参道。矢川神社、甲賀市でも屈指の神社なのかも・・・
左手をみると、公民館やら倉庫的な建物やらが立っているので、おそらく車輛の進入にも適するようになっているのだろう。
周りを見渡すと、霧のような雨に包まれた甲賀の山々が見える。
長い参道の中ほどにある小川。
この歩いている時間が楽しい。
甲賀の平野、田園風景が広がる。
やっと本殿のあたりが見えてきた。
・・・と、チラっと見えているあれは何だ?
橋かな?
のぼりには矢羽が描かれている。
矢川神社だけに、はやり矢なのであろうか。
甲賀武士も、手裏剣よりはやはり矢の方が遠くまで届くからスタンダードだったであろう。
参道の所々にある、不思議なタイル。
四方手裏剣のようなマークとか、昔の家紋の「井桁」のようなマークもあった。
やっと本殿の山門が見えてきた。
参道の端からも見えていた、このドーム形のものはなんだ?
やはり橋としか考えられないが・・・
やはり石造りの橋だった。
しかし、あまりにも急傾斜なのと、雨で滑りそうなのが怖くて、登るのをやめた。
ひょっとしたら、登ってはダメなのかもしれない。
立派な山門が現れた。
かなり古そうな雰囲気が溢れているなぁ。
それにしても、参道からの距離を考えると、社域はかなり大きかったのかな。
矢川神社の領域は広い。甲賀の中でも重要な位置を占めていた事が伺える。
一部消失しているとはいえ、やはり山門の遺構は室町中期からのものという、歴史ある風格。
風雨にさらされながらも、600年近くも昔のモノが残っているとは、それを目にできることに感謝だなぁ。
境内に入ると、左手にドド~ン!と巨大な遺跡標が。
「こうか ぐんちゅうそう いせきぐん」で区切る。
この矢川神社は、室町後期から安土桃山時代初期のあたりにかけての、甲賀地域における重要な遺跡の一つとして、文化庁指定を受けています。
この石碑で、甲賀の歴史を掘り下げる興味が、俄然と盛り上がってきた!
甲賀とくれば伊賀。そもそもどういう地域だったの?
甲賀と伊賀といえば、忍者。そんなイメージも売り込みもされているので、そこに行きつくのは定番。そして忍者の里を抱える地域といえば、深山に抱かれた、霧の煙る隠れ里で、その地域に至るには、自然の城壁のように周りを取り囲む山々を越えて入らねばならぬ。
スタンダードなイメージではあるが、実際はどうか。伊賀も甲賀もどちらも、そんな感じではない。
まあそれなりに山がちではあるが、普通に平地はあるし、川を辿れば下流の拓けた市街地につながるのは、中世どころか古代でも同じだろう。
と、いうことは、大昔から普通に暮らす人がいる、山がちな山間部の土地。それだけなのだ。特別に謎めいたベールに覆われた禁断の土地ではない。
ではなぜ甲賀や伊賀には忍者の土地、のようなイメージが付いたのか。
それを紐解き理解するヒントになるのが、前述の石碑にある。
と、長くなってきたので、続きはまた別の旅団日誌で。