アドラー心理学研究人の清水 尚彦です。
今回はアドラー心理学を日常においてどう感じながら、あるいはどう扱いながら暮らしていけばいいのかを、学び始めの段階という視点で思いつくままに書き残していこうと思う。
習熟していく過程を書くような形をとることで、新しく学ぼうとする人たちの一助に少しでもなればと思う。
アドラー心理学の基礎練習
アドラー心理学という学問を学び始めるとすぐに気づくのがだ、それが日常での実践とコインの表裏の如く貼り付いているような、というよりも日常の実践の中に溶け込んでいるような、むしろそこにしか無いのかもしれないという感覚だ。流行りのアドラー心理学本を読んでも、座学の講座を受けてきても、じゃあ日常の自分の暮らしの中に活かせるよう意識しているかといえば、案外そうでも無いものである。
まれにフト思い出したアドラー心理学のメソッドを、たまたま目の前にいた人とのコミュニケーションの合間に紛れ込ませて試してみて、また忘れていつもの自分の世界に戻る。
自分の場合は、最初期の頃はそうだった。
「あぁ、これって実践が大事だなぁ・・・ていうか実践しなきゃ、他の学問とかより何倍も意味のないモノの塊なのかもなぁ。」と、最初期の頃に気付いたのにも関わらず、いつも振り出しに戻っているような始末である。
そしてその実践なのだが、これが結構難しい。簡単でないのは分かりきっていたことだが、学び初めていざ実践となるとアドラー心理学がこれほど難しいとは思わなかった。
いや、これは私個人の今日までの生き方に基づく価値観や行動原理が、アドラー的なモノからかなり遠い距離に在るだけで、世の中にはアドラー心理学を学んだ訳ではなくても、この考え方に近いモノに触れ、割りと受け入れやすい境地にて生きている人も大勢いることだろう。
ともあれ、恥を晒すようだが私にとってはこのアドラー心理学を取り入れた日常における実践的生き方というのは、今までの生き方の中で取り入れて来なかった、真逆の価値観のようなモノだと感じた。
それが、アドラー心理学に触れ始めた最初の頃の偽らざる感想だった。
ささやかな日常のエピソードに…?
本格的に学び出して、1年目のある日の昼前、出かけようとエントランスまで来ると、自宅マンションの清掃をいつもして下さっているおじちゃんと出会った。おじちゃんは仕事を終え、原付バイクで帰るところだった。いつもの如く挨拶をした。
すると、最近会っていなかったので久しぶりに顔を合わせたおじちゃんが、挨拶のあとにこう続けた。
「久しぶりやん!どないしてたん(^O^)」
私は答える。
「あぁ、最近朝に仕事が入ってなかって、昼から出ることが多かったから〜」
するとおじちゃん
「ああ、そうかぁ。元気なら良かった。」
私「ありがとう〜。仕事、お疲れ様です。気をつけてね〜!」
一連の短い会話を終えて歩き出した私に、フトある考えが浮かんできた。
ん….?これって…..
アドラー心理学、だけじゃないけど初歩の初歩は?
人の悩みも幸福も、その源泉は人間関係が全てである。そう断定しているアドラー心理学である。
ならばアドラー心理学における実践とは何か。生きた他者とのやりとりこそ実践でありまた、そこにしか無いのであろう。
先程のおじちゃんとのやり取りを終えて歩いている私の中で、何かモヤモヤした感覚が生まれていた。
(おじちゃんは私に質問してくれた。何気ない内容だが、聞いてくれたのだ。私が興味を持って貰えるような人間だったからか、それともおじちゃんがそういうコミュニケーションの仕方を普段からしているからなのかは分からない。ともあれ、おじちゃんは私の事を聞く質問をしてくれて、片や私はおじちゃんの事を聞き返すことはしなかったし、思いつきもしなかった….)
他者への関心を持つ。
アドラー心理学の中でも、大切な要素の一つとして扱われてるモノである。
ごく単純で、短いこの一文は、様々な意味と価値を持つ。
おじちゃんとのやりとりという日常的に出くわす、本当にささやかな小さいエピソードを通してこの日、少しだけ今までとは違う気付きを得たのだが、長くなってきたのでそれについては次回に譲ろう。